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ラジオ少年の頃 アマチュア無線開局の頃 無線局の再開 現在の機器構成

 アマチュア無線開局の頃
アマチュア無線技師免許の取得
中学生のころアマチュア無線をしている友人がいて,中学生時代から高校生時代と
友人のシャック(無線設備)に遊びに行っていろいろなことを教えてもらった。それで,
自分もアマチュア無線の免許を取りたいと思うようになった。
1969年、大学浪人をしていた時に,電話級アマチュア無線技師の免許をアマチュア
無線連盟の講習会で取得した。約10日間ほど私立の工業高校であった講習を受け
修了試験をパスすれば合格というものであった。
自作無線機で開局
この頃はトリオの9R−59Dなどのメーカー製の無線機もあったが,古いラジオを分解して
得た部品で作った自作機で交信するアマチュア局も多かった。電信級の免許を持っている
人は,もっぱら,トン・ツーのモールス信号による交信を楽しんでいたようである。
電話級の方はまだAM(振幅変調)の交信も多く,自作派もそれなりに楽しむことができた。
周波数帯は,10Wの出力でも日本全国と交信できる7Mhz(メガヘルツ)が中心であった。
私自身も,開局した時は自作の真空管式の送信機と受信機であった。送信機の終段管は
最初のころは友人にもらった中古の807,あとでS2001に替えた。受信機は俗に「高1
中2」と言われる,高周波1段増幅,中間周波2段増幅型の受信機であった。
自作にあたっては「初歩のラジオ」や「ラジオの製作,「CQ」などのラジオ雑誌が大いに
参考になった。キットを組み立てるのではなく,アルミのシャーシに穴を空けるところから
自作するわけだから,今から考えると相当の手間ひまかけてのことだ。
苦労して配線まで終了して,電源を入れるときの緊張感がまたたまらなかった。時には
抵抗の焦げてしまったり真空管のプレートが赤くなって熔けかけたりと失敗もあったが,
そのような苦労のあとで,スピーカーから交信が聞こえてきたり,こちらの呼びかけ(CQ)
に,相手が応答してきた時などは本当に感激の瞬間だった。
アンテナは逆L型のワイヤーアンテナを自宅の屋根の上に張っていた。電灯線用のビニ
ールコードを水平に張っただけの安上がりのアンテナである。
144Mhz帯での移動局(モービル運用)の開始
そのうちに、7Mhz帯だけの運用にあきたらなくなり,144MhzFM(周波数変調)のメーカー
製トランシーバーを購入した。トリオのTR7200?だったろうか,記憶違いかも知れない。
その頃の144Mhz帯は呼び出し周波数が144.48Mhzだったように思う。現在は145.00Mhz
になっている。このトランシーバーは就職で離島勤務になったときにも持っていき,職場の
屋根に7エレほどの八木アンテナを上げて交信していた。

しかし,その後有効期限5年間の無線局の免許状の更新を怠り、無線の世界からもずっと
遠ざかってしまった。