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映画にまつわる思い出 DVD5.1CHシステム DVD映画評

 映画にまつわる思い出

前もって断っておきたいことだが、私はマニアと言われるように映画について知識や思いがあるわけではない。
しかし、漠然と暇つぶしに映画を観ることができるような暇人でもない。映画にはまっているわけでもないが、
映画にある程度の期待というものを感じつつ週に数本のDVDタイトルを観ていた時期もある。
その私が素朴な思いや感想をランダムに綴っていこうというのがこのページの趣旨である。お暇な人はどうぞ
おつきあい下さい。

小学校・中学校の頃(テレビ時代以前)
 ・映画と言えば小学校のころ、黒い幕を張りめぐらした学校の講堂で見たのがいちばん古い記憶である。その他に、時には
  町の映画館に全校児童が歩いて出かけて行って教育映画を見たりすることもあった。
 ・夜、小学校の校庭で地域の人々のために映画が上映されることもあった。まだ、テレビが普及する前の頃の話である。
  確か大友柳太郎の「鞍馬天狗」かなんかの映画を見てまだ小さかった弟が怖がって泣いていた思い出がある。
 ・中学生のころ、当時町に一つ残っていた映画館に「青島要塞爆撃命令」というような題名の映画を見に行った。しかし、その
  映画館はそのあとすぐに廃館になってしまった。
(最近ネットで検索したら,1963年の東宝作品にちゃんと「青島要塞爆撃
  命令」という作品があった。自分の記憶力も相当なものであると変な感心をしてしまう。出演は佐藤允,夏木陽介,加山雄三
  池部良らである。この映画では,ゆらゆらと飛ぶ日本軍の複葉機が青島のドイツ軍基地を攻撃するが,トンネルに逃げ込も
  うとする列車を爆撃するシーンや,爆弾がなくなったのか飛行機から釘を投下して,敵兵があわててバタバタと倒れる場面
  などが印象に残っている。とにかく当時は映画は年に何回も見なかったので印象に強く残っているのだろう。[2005.2.16])

 ・年に一二回は家族で映画に行くこともあった。戦争映画の暗い画面を思い出すが、大岡昇平の「野火」を映画化したもの
  だったのだろうか。
(最近ネットで検索したら,1959年の大映作品に「野火」があった。監督は市川昆,出演は船越英二,
  ミッキー・カーチス,滝沢修,稲葉義男,佐野浅夫,中條静夫とある。[2005.2.16])

 ・これも家族で,「反逆児」という時代劇を見たような記憶もあるが定かではない。
(これまたネットで検索したら,東映の1961年
  作品に「反逆児」というのがあるらしい。徳川家康の三男信康を中村錦之助が演じている。わずかに印象に残っていた切腹
  シーンは,信長の命により信康が切腹するラストシーンだったようだ。[2005.2.16])

 ・こうしてみると,我が家は兼業農家で,とにかく家族中がいつも忙しく立ち働いていたようであるが,結構,教養ある家族だった
  のかもしれない。家族で映画というのが最近はあまり流行らないようであるが,本当に懐かしい思い出である。家族で映画を
  見たのは多分田植えのあとや,秋の収穫のあとの,子どもたちの手伝いに対するご褒美だったのかもしれない。 

高校・大学時代(テレビ時代の到来)
 ・中学を卒業すると、十数q離れた唐津市の高校に汽車通学するようになった。当時は唐津市内には中央大劇、東宝大劇
  という二つの映画館があった。他にも数館あったが、テレビ時代への移行期に入っていてボーリング場に改装になったり
  していて、映画斜陽化の時代になっていた。
 ・友人の中には当時人気のあったショーンコネリーの「007シリーズ」は全部見ているという者もいたが、自分が高校時代に
  見た映画では、加山雄三の若大将シリーズが記憶にある。若大将シリーズの一作だったと思うが、星由里子演ずる女性が、
  恋人が山で死んだという知らせを聞いて、彼の手紙を刻んでご飯に振りかけ茶漬けにして食べるという場面の切なさにすごく
  どきっとしたという思い出がある。
(1966年の「アルプスの若大将」か?)
 ・当時の映画館と言えば、真っ暗で手探りで空いた席を捜して座り、人の頭越しに、背伸びしながらスクリーンを見ていた。
  映画と言えば盆や正月に見るか見ないかというぐらいだったと思う。だから、いつも映画館は満員の記憶がある。
 ・映画館に入れば、トイレとたばこの臭いが鼻をついていた。館内でも平気で煙草が吸えた時代だった。
 ・当時は2本立てか三本立てが普通だったので、映画館を出てくるときにはすっかり夕方になっていて、入るときは晴れていた
  のに出るときには雨が降ったりしていて、少し頭が痛い状態でぼんやりと夕闇の迫る町に歩き出していたことを思い出す。
 ・思い出に残る映画と言えば、大学4年の時に就職試験に行った姫路で観た「ポセイドンアドベンチャー」と「ダーティ・ハリー」
  「ポセイドン・・・」はその後の「タワーリングインフェルノ」などに続くパニック映画の先駆けとなった映画である。「ダーティ・・・」
  の方は、クリントイーストウッドの出世作である。
社会人になってから
 ・仕事や他の趣味が忙しく、映画に浸ることはなかったし、映画について大した知識や思い入れがあるわけではなかった。
  テレビで洋画劇場があっていたが、日本語吹き替えの放映であったのであまり興味は湧かなかった。NHKの教育で月一回
  字幕付きの洋画が放映されていて、たまにそれを観るぐらいであった。
 ・40代になったころレンタルビデオの時代、衛星放送の時代になって日本語字幕付きの洋画が見れるようになった。その頃は
  レンタルビデオが一本500円の時代で、月数本借りるくらいなら加入した方が得だなと考えてWOWWOWにも加入した。
 ・一時は100本程度の洋画をテープに録画したが、最近はほとんどWOWWOWも観なくなっていた。