阿波踊り,祖谷渓〜四国3泊4日ツーリング(2005.8.14〜8.17:総走行距離824km)

5年ぶりの泊まりがけツーリングは,軽トラックでの高速移動+キャンプ付きの新企画
 ここ数年泊まりがけのツーリングをし
ていなかったので,車検をとったばかり
のディバージョンで5年ぶりの泊まりが
けツーリングを敢行することにした。
 同行のK氏と相談して,予定は3泊4
日,目的地は四国,具体的には二人と
もバイク未踏の地徳島と決めた。今回
相棒は125CCのカワサキKDXで走る
というので,大分県の佐賀関までの高
速移動を軽トラックで行うことにした。
 果たして,400CCと125CCの2台
のバイクを軽トラックに積載できるか。
初めての試みなので不安もあるが,目
的は四国ツーリングなので,途中はで
きるだけ効率的にという考えで,この
新企画を実行に移すことになった。
 今回の計画では,一泊をキャンプで
というのも私にとっては初めての体験
になる。そういう意味で,5年ぶりの泊
まりがけツーリングは期待と不安の中
で始まった。
INDEX
1日目(8月14日)佐賀〜佐賀関〜三崎〜松山
2日目(8月15日)松山〜石鎚スカイライン〜徳島
3日目(8月16日)
徳島〜大鳴門橋〜屋島〜祖谷渓
4日目(8月17日)
祖谷渓〜松山〜三崎〜佐賀関〜佐賀

1日目(8月14日)
軽トラも捨てたもんじゃない,快適に高速を移動
 10時30分,集合場所に到着し,軽トラックに2台のバイクを積載する。アルミ製のラダーを使い10分
ほどで無事積載完了。400CCのディバージョンが軽トラの荷台ぴったりに収まる長さである。荷台のす
き間にキャンプ用品などの荷物を積み込み長崎自動車道多久インターから高速に乗る。大分自動車道
の大分宮河内インターまで182.4Kmで料金は軽自動車等なので3500円。これで,2台のバイクを
快適に移動できるというのは経費の面からもお得な作戦である。もちろん125CCでは高速を走れない
ので,時間的にも,一般道を走るのと比べると大変効率的は方法である。
 途中で休憩しながら走って,15時半ごろに佐賀関港に到着。旧盆の帰省時期なのでフェリー待ちが
ないか気がかりだったが,無事10台目までに滑り込んだ。(ちなみに,この九四フェリーはバイク積載
予約受付がなくて先着順である。5年前のゴールデンウィークには4時間待たされた苦い経験がある)

今回は4時出港の便にタイミング良く乗船することができた。
バイク積載の状況(高速のPAで) 九四フェリーの船上で

佐田岬半島から1泊目の松山市へ,初搭載のナビを活用
 17時10分,70分の船旅で愛媛県三崎港に着く。ここからがツーリングの始まりである。走り出す前
に今夜の宿をガイドブックで探す。お盆特別料金で2割ばかり割り増しになっているというが,比較的に
安めのビジネスホテルに決める。
 今回は,以前車に搭載していたが,車の買い換えによって使わなくなっていたサンヨーのゴリラをバイ
クに搭載してきた。アンテナはハンドルのブレーキオイルボックスの上に粘着テープで,本体はタンクバ
ックに同じく粘着テープで装着,電源はカウルの右側に貼り付けたシガライターソケットから取るという,
大変手軽な方法で搭載した。これでとりあえず落下ということはないようだし,すぐ取り外して持ち運べ
るという点も使い勝手がいい。早速ホテルの電話番号を入力してホテルを検索し,目的地に設定する。
三崎港について今夜の宿探し ホテルの電話番号で検索 タンクバックに搭載したゴリラ
 18時10分,道の駅瀬戸農業公園に到着し小休止をする。5年前に立ち寄ったときには,公園の高台
に大きな風力発電用の風車が回転していたが,昨年8月の台風16号で破壊されたということで,壊れた
風車の台座や羽根が横たえてあった。
 三崎から国道197号線を約30kmほど走り,佐田岬半島に別れを告げて国道378号線に入る。この
のルートは左手に瀬戸内海が広がる気持ちのいいシーサイドラインで,車も少なく快調に走った。日没
時間と重なり,海に沈もうとする夕陽を振り返りつつ松山市をめざす。
 20時過ぎにホテル到着。驚いたのは,なんと,このビジネスホテルの最上階の大浴場には道後温泉
からの温泉が引いてあったことである。やや疲れて,温泉まで足を伸ばすのがおっくうだったので,大変
嬉しかった。料金がお盆料金で高かったけどお釣りがくる思いがした。温泉で疲れを癒したあとホテル近
くの居酒屋で遅い夕食となった。あまり呑めない自分だけど,この一杯の生ビールがたまらない。
道の駅瀬戸農業公園にて 夕陽を背にして378号線を走る

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2日目(8月15日)
旧盆8月15日,観光客でにぎわう松山城を散策
 9時半過ぎにホテルを出発し,松山城を見学する。リフトに乗って(ロープウエイもあり)5分ほどで市内
を一望できる松山城に着いた。
 この城は,秀吉の家臣の加藤嘉明によって1602年に築城開始された。加藤氏が会津に転封になった
あとは,蒲生氏一代をはさみ,その後は松平氏15万石の居城であった。天守閣は1784年の落雷で焼失
し,現在の天守閣は1854年に再建されたものである。15万石という石高からすると,規模の大きな連立
式の平山城である。残念だったのは,天守閣が改修工事中で一部のみの公開だったことである。
 今日も快晴である。じっとしていても汗が出てくる真夏の暑さの中に,多くの家族連れが訪れていた。
この時点では,バイクも快調,天気も上々で,今日も快適なツーリングが出来ると思っていたのだが・・・。
城に登るリフトにて 漱石の「坊ちゃん」時代の女学生と記念撮影 城の櫓の一つをバックに

松山城から石鎚スカイラインへ,突然のバイクの不調に見舞われる
 松山城でゆっくりして,11時過ぎに石鎚スカイラインに向かう。市内を抜けて登り坂になった頃からバイ
クの調子がどうもおかしい。4気筒のうち1気筒が爆発していない状態に似ている。少しぐらいの坂道なら
4速までギアダウンすれば対応できるのだが,時速40キロ程度から4速で加速しようとしてもエンジンが
吹け上がらないのだ。3速に落として4500回転以上をキープするとなんとか登るという状態である。
 数日前に車検を取ったばかりなので,まさかこんなことになるとは。それに3日前の日帰りツーリングで
は,高速走行も含め,エンジンは快調だったのだ。とりあえずプラグを見るくらいしかできない。道路脇に
停めてプラグをはずしてみると,4本ともカーボンで真っ黒の状態。満足に爆発していないのは一目瞭然
である。これが1,2本ならわかるが,4本全部とは電気系統が疑われる。折しも山道に入ってバイク屋も
見あたらないのでプラグを掃除して走るしかない。
熱いフィンに注意し,プラグはずし プラグは4つともこの状態 とりあえず磨くぐらいしかない

悪いときには悪いことが・・・・・,突然の大雨に見舞われ1時間半ほど雨宿り
 なんとか三坂峠を越えて,久万高原町に入る。町
の中心部でスズキの看板を見かけ,行ってみたら
休業だった。そう,今日は旧盆の8月15日。バイク
の修理をあきらめ,町の小さな食堂で昼食をとる。
 そこで,ガイドブックを見ながら徳島市内のビジネ
スホテルを探す。阿波踊りを見るために,今日は何
が何でも徳島泊まりと決めて予約を入れる。
 ところが,昼食を終えて走り出そうとしたら,ポツリ
ポツリと雨が降ってきた。そのうちに前も見えないく
らいの大雨となりやむなくガソリンスタンドで雨宿り
となった。レインウエアを用意していた友人に,買い
出しに行ってもらって上下そろいのカッパを着込む。
果たして,阿波踊り最終日,徳島に着けるのか・・。

小雨の中,石鎚スカイラインを走る
 久万高原町を過ぎて石鎚スカイラインに入ったときは午後3時半を過ぎていた。幸い雨は小降りになっ
たが,愛車の調子は相変わらずである。先ほど雨宿りしたスタンドで,「ハイオクは燃えにくいですよ」と
言われ,ほぼ満タン状態だったハイオクを全部抜いてレギュラーに替えた効果も見えない。
 それにしても四国の山の深さ,険しさには改めて驚いた。石鎚スカイラインは一応二車線であるが,
急斜面の山肌を縫うように延々と続いている。このスカイラインを抜けたら広い道に出るのかと思えば,
今度は一車線の山道がまたどこまでも続く。
 ナビにまかせっきりで地図を開かないのですっかり距離感をマヒさせてしまっていた。途中でまたプラグ
のチェックをやったりしていたのですっかり時間をロスしてしまった。
スカイライン入り口 写真では快調に走っているように見えるが・・・・ 険しい山間を縫って
車が少ないのがせめてもの救い バイクの不調は高度のせいかも 霧深い山中でプラグチェック

どこまでも続く林道,四国山地の山の深さを体感・・・やっと寒風山トンネルを抜けて・・・
 細く曲がりくねった林道をかなりの時間走り,やっと寒風山トンネル入り口に着いた。しかし案内標識に
は愛媛県西条市側通行止と書いてある。よく見ると,入り口近くの駐車場に新しい寒風山トンネルへの案
内図があった。この図を頼りに,また細い道を下る。5,6Km下ったところに新しい道が出来ていて,その
分岐を右折すると新しい寒風山トンネルがあった。この,高知県と愛媛県を結ぶ国道194号に新しい寒風
山トンネルが完成したのは平成11年のことで,長さは5432mと無料のトンネルでは最長の長さを誇る。
 やっと当面の目的地西条市への道が開けてきた。しかしこの時点で18時を回っている。果たして,今晩
のうちに徳島に着けるのか,やや不安も高まってきた。トンネルを抜けて西条市街に入った頃はすっかり
夕陽も傾いて来た。途中のコンビニで腹ごしらえをして,東へと走り出す。
 平地に降りてからもやはりバイクの調子は回復しない。新居浜でレッドバロンが開いていたので,プラグ
を交換することにする。盆の15日に開いていたのはラッキーだった。店員のお兄さんは,バイクを一瞥し
ただけで4本の新しいプラグを持ってきた。それは間違いなかったが,取り替えてくれるでもなく,代金を受
け取るとさっさと店内に戻った。しかたなく,店頭でプラグ交換をする。はずしたプラグの処分を頼むのもた
めらわれ,バックにしまって走り出す。新品のプラグとあって順調に着火はしているようだが,すぐ,原因
はプラグではなかったことに気づくことになる。
 徳島県に入って,吉野川に沿って走る国道192号に乗ってからは車が少なく,ペースを上げて走ることが
できるようになった。20時45分,池田町に入りコンビニで小休止。果たして阿波踊り最終日に間に合うこと
ができるのか。
新しい寒風山トンネル 池田町のコンビニで小休止 池田町でトリップメーターは323Km

やっとたどり着いた徳島は阿波踊りのフィナーレで・・・
 池田町のコンビニを出て,四国一の大河吉野川を左に見え隠れしている国道192号を東へ東へと急ぐ。
午後10時半をまわった頃徳島市内に入り,予約していたホテルの近くにバイクを止め,すぐにざわめく街
にむかう。すぐ近くの通りで最後の一団の踊りが終わろうとしていた。警察のスピーカーは歩行者天国の
終了を告げている。やがて,踊りの輪が解け,踊りの人たちは,表情やしぐさに余韻を漂わせて三々五々
帰途につき始めた。
 これって,阿波踊りを見たことになるのかなあ。あきらめきれない二人は,艶めいた若い踊り娘さんや,
今は観客のいなくなった桟敷席の前を帰る人々をスナップするのであった。
 
午後10時45分,徳島着 祭りのあと・・・最後の一団の踊りが終わって
祭りの興奮とざわめきの余韻が残る・・・ 帰途につく人たちの足取りはまだ阿波踊り状態

ところが,なんと自分たちの泊まるホテルの前で・・・
 大通りを過ぎて予約していたホテルの前に来たら,なんとそこに一つの踊りの輪が出来ていて,大勢の
人々が拍手や歓声でにぎわっている。カメラを抱えて人垣の間をこじ開けて前に進むと,一つのグループ
が最高潮に盛り上がって踊っているではないか。しかも,観客の「アンコール!」のかけ声に応えて,もう
ひと踊り。これは大変ラッキーだった。「踊る阿呆」にはなれなかったが,「見る阿呆」にはなんとかなれた。
手先だけでなく全身のダイナミックな動きに感動,そして鐘と太鼓の囃子方も躍動的で素晴らしい

 Touring Movies(阿波踊りのムービーを公開しています。)

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3日目(8月16日)
鳴門大橋で小ぶりな鳴門の渦潮を見る
 前日の石鎚スカイラインでの雨が嘘のように,天気は快晴である。9時半,ホテルをチェックアウトする。
今日の予定は,大鳴門橋を見る〜讃岐うどんを食べる〜祖谷渓のキャンプ場にたどり着く〜といったとこ
ろである。例によって大変アバウトな計画であるが,今日の宿泊はキャンプとなるので,できたら明るいう
ちにキャンプ場に着きたいものである。
 ホテルを出ると,まず徳島市と愛媛県松山市を結ぶ国道11号線に乗る。8Kmほど走って右折し国道28
号線に入り鳴門市に向かう。市街地を抜けて小鳴門橋を通って大毛島に渡る。しばらく走ると右手に海が
広がり,その前方にひときわ大きな大鳴門橋が見えてきた。高速道路をくぐって小高い丘にある鳴門公園
に着いたのが10時10分であった。バイクを駐車場に入れたあとで,有料駐車場だと知ったがあとの祭り。
展望台へはエスカレーターで登るようになっていたが,これも有料であった。
展望台からは雄大な大鳴門橋が一望できる。今回は走らないが,いつかこの橋を渡って淡路島を走って
みたいものだ。橋の下には,時季はずれで小さめであったが鳴門の渦潮が見えた。
今日は快晴,とりあえず鳴門市に向かう 鳴門大橋・淡路島を望む道路脇で
有料エスカレーター 展望台から大鳴門橋を眺める 小ぶりの渦潮

屋島から古戦場を眺め源平の昔を想い,讃岐うどんにありつく
 11時過ぎ,鳴門公園を出発し,国道11号線を西走して香川県に入る。昼どきとなり,そろそろ讃岐うど
んの時間であるが,まず源平の古戦場屋島を訪ねることにした。有料道路屋島ドライブウエイの入り口
に来たら,ここは自動車専用道路で原付2種の相棒のバイクは走れないことがわかった。大学時代に
山陰四国ソロツーリングをしたときには確かここを125ccのヤマハAS2で走り。料金が160円も取られ,
高いと憤慨しているから間違いない。(山陰・四国、秋のオートバイ一人旅のページ参照)
 仕方がないので,相棒のバイクを駐車場に置いて,タンデムで走ることにした。ちなみに料金は430円
であった。瀬戸内海の景色を眺めながら5分ほど走ると屋島の頂上に着いた。頂上には廃業したホテル
などがあり,寂れた雰囲気だった。学生時代に眺めた塩田の跡も,今は全くどこだったか分からず,時の
流れを感じた。
 屋島見学を終えて,駐車場のすぐ下にあった本家わら家といううどん屋さんに入る。店内は多くの客で
混雑していたが,あまり待つことなく注文の品が運ばれてきた。コシのある手打ち風のうどんであるが,
これだけ多くの客に提供するためには純手打ちでは間に合わないだろう。本家わら家は風情もあり,名
の通った店のようであったが,もう少し小さな店でゆっくり味わいたいとも思った。
ナビでコースを確認しながら,鳴門公園から国道11号線に向かう 屋島の東方,古戦場跡を眺める
屋島の西方,高松市沖を望む 430円は現在の物価水準では安い方かな
本家わら家の入り口 生醤油うどん,釜上げうどん,天ぷら盛り合わせ,薬味に生姜とネギ

腹ごなしに「セカチュー」のロケ地めぐり
 相棒のK氏が,今日ここだけは見ておきたいと言っていた「世界の中心で愛を叫ぶ」のロケ地。どこだろ
うと地図を見ていたら,さっき屋島の展望台から眼下に見えていた町だとわかった。距離的には7,8Km
逆戻りになるが行ってみることにした。この町の名は木田郡庵治町であるが,平成18年1月には高松市
と合併することになっている。役場でロケ地ガイドのパンフレットをもらって,とりあえず漁港に行ってみた。
 「セカチュー」は最初原作で読み,あとでDVDで映画版を観たが,映画では原作ほどの印象を受けなか
ったので,自分的にはそのロケ地といってもあんまり関心はない。原作が大ヒットしただけに,ロケ地巡り
のアベックたちを何組も見かけた。自分がゆっくりしている間に相棒のK氏もたんねんに回っていたようだ。
屋島の展望台から見た庵治町 町の入り口にはロケ地を紹介する看板が
ゆったりとした時間が過ぎていく庵治漁港 ロケ地の一つ,皇子神社のブランコ(K氏撮影)

暑さ知らずの祖谷渓でキャンプの一夜を過ごす
 庵治町を出たのはもう午後4時を回っていた。今日は昨日のように遅くなるわけにはいけない。なぜなら
今日はキャンプ泊,ちゃんとベッドメイクされた部屋が待っているわけではないからだ。多度津市付近で
国道11号から国道32号に入り,讃岐平野を斜めに横断する。途中,休憩を兼ねてホームセンターでテン
トマットや蚊取り線香を購入する。猪ノ鼻峠を越えて徳島県側に入り,昨日走った192号線に入ると,池田
町はすぐだった。
 夕闇迫る池田町では阿波踊りが始まろうとしていた。阿波踊りは徳島市だけでなく,県内のいろんな町
でも行われているらしい。踊りの衣装を来た中学生たちが三々五々,町の中心の通りに集まっていた。
このような小さな町の阿波踊りも風情があるようで興味をそそられたが,ここでは食料の買い出しが主目
的である。スーパーを出たところでK氏とはぐれたが無線で連絡をとりながら合流し,祖谷渓への細い道
をただひたすら登る。
 午後8時をまわってやっと到着。管理事務所に利用料金を払って,早速テントの設営にかかる。真夏と
いうのに,心地よい夜である。買い出しの食材を使って,ガスストーブで簡単な晩餐をつくり,早速乾杯。
K氏が今回購入したガスランタンがキャンプのムードを盛り上げ,3日目の夜が静かにふけていった。
キャンプ場の管理事務所前に到着して テントの設営,隣ではライダーがもう就寝中
夜のしじまの中でささやかな宴を・・・ 食って,ほどよく飲んだら,あとは寝るだけ

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4日目(8月17日)
最終日の朝は,まずは木立の中での朝食タイムから
 祖谷渓キャンプ場の夜は暑からず寒からずでとても心地よかったが,旅に出ると特に眠れなくなるたち
なのであまり熟睡できなかった。夜中にコインシャワーを浴びたが眠気は訪れず,6時過ぎに起き出す。
牛乳,パン,バナナ,カフェオレの朝食をとりテントの撤収にかかる。
 今日は祖谷渓温泉,かずら橋がメインで,あとはひたすら西に走り往路と同じように愛媛県佐田岬の三
崎港から大分県佐賀関港間の九四フェリーにできるだけ早い時間に乗ることが目標である。
テントの設営・撤収,食事の準備・始末を楽しみと感じることで,ツーリングのおもしろさが広がる

深い渓谷の底の露天風呂,いやいや,祖谷温泉にはすっかり魅了されました・・・
 午前8時過ぎ祖谷渓キャンプ場を出て,吉野川の支流の祖谷川にそって走る。道は完全舗装されている
がカーブの多い一車線道路である。登るにつれて祖谷川は深い谷の底に沈み,険しい山の斜面をはうよう
にして道路が続いている。人家も途絶えて久しい8時半頃,突然目の前に立派な建物が出現した。まるで
「千と千尋の神隠し」の世界である。
 見えてきた建物は祖谷渓温泉ホテル,山の中の一軒宿である。さっそくバイクを停めて露天風呂に入る
ことにする。なんと,ここの露天風呂はケーブルカーで谷底に降りるのである。乗っている時間は約5分
であるが,高低差は170mもある。ケーブルカーの運転はセルフ方式で,男二人乗ったケーブルカーは,
渓谷の底に吸い込まれるように降りていく。ほどなくして下の駅に着き,そこから建家のなかの階段を下り
ると,祖谷川に面してきれいな露天風呂が待っていた。
 誰もいない露天風呂でゆっくり疲れをとる。本当に心も体も溶けてしまうような,安らぎと癒しのひととき
であった。 
 
深い山の中に突然現れた祖谷渓温泉ホテル こんな山中に立派な玄関の構え
ケーブルカーで深い渓谷の底に降りていく 上ケーブルカーの駅,下休憩所,左下露天風呂↑
まだ午前8時半とあって,他に客は誰もいない。男二人,貸切状態で朝風呂を楽しむ

祖谷(いや)渓温泉でいやされ,かずら橋に向かう
 露天温泉を出て,ケーブルカーでホテルのロビーに戻る。K氏は更に内湯に入ると言うが,自分は内湯
入り口のマッサージ機で温まった身体をさらにほぐす。眠気も強烈でこのまま天国でもどこでも行ってしま
いたい感じである。例によって,一旦バイクを降りたらゆっくりと過ごしてしまう我々が,かずら橋に向かっ
てホテルを出発したのは午前10時を過ぎていた。今日も天気は上々で,邪道だが半袖ツーリングとなる。
疲労や怪我の防止には長袖着用が必須だが,この時期,バイクを降りたときの暑さにはかなわないので
ある。
入浴後テラスでくつろぐ うーん,この心地よさ かずら橋に向けて出発

祖谷かずら橋を渡る
 午前10時を回ったところで祖谷渓温泉ホテルを出発してカズラ橋に向かう。西祖谷山村の集落に入ると
学校や商店なども見え始めて,橋に近づくとお食事所兼お土産屋さんも数軒見えてきた。バイクを停めて
橋の方に歩いて向かう。国道にかかったコンクリート橋の上流にかずら橋が見える。
 水面からの橋の高さも高いが,橋の入場料500円もちょっと高いかなと思ったが,折角ここまで来たのだ
からと,ほとんどの人が渡っているので,自分も渡ってみた。
 欄干部分を手がかりに少しづつ中央部分に進むが,橋が揺れるので結構スリルがある。木材をつないだ
橋桁の隙間からはるか下に水面が見える。汗ばむ暑さであるが,この時の汗は冷や汗だったかも。
 橋を渡ったあと,まだ11時過ぎであったが,近くの茶屋で早めの食事タイムとする。この秘境かずら橋の
近くには,巨大なコンクリートの柱を何本も打ち込んで大きな公共施設が作られていた。秘境も段々様変
わりしてきているようだ。
結構高いですね みなさんおっかなびっくりのへっぴり腰ですな 無事渡り終えて
結構高いですね やまめ塩焼きにかぶりつく 山村の集落と建設中の公共施設

祖谷渓谷を下る
 大歩危,小歩危も比較的近いのであるが,これからの走行距離を考えると,そろそろ秘境に別れを
告げなければならない時が来たようだ。かずら橋の茶屋を出て,来た道を引き返す。途中で祖谷渓谷
に向かって気持ちよく小便している子どもの姿が・・・。「おーい,気持ちは分かるがあぶないぞー」と
声をかけようとバイクを止めたら,それは何と,誰が何のために設置したのか小便小僧の像であった。
通常なら筒先からはおしっこ(水)がほとばしり出るのであろうが,最近続いている水不足のせいか一
滴も落ちていなかったのは残念だった。小便小僧ならぬ,公然わいせつ小僧であった。
なぜか小便小僧 向こうに見えるのが祖谷渓温泉ホテル

四国山地の深さを体感し,あとはただひたすら西に
 四国の山地の深さ険しさは,二日目の石鎚スカイラインでインプット済みであったが,この祖谷渓谷の
深さには改めて驚かされた。これは,地形的に高い山地であるという地形的な要因に加えて,降水量が
多いという気象的な要因が関わっているのだろう。
 今日の出だしは早かったのだが,昨晩の宿泊地の祖谷渓キャンプ場前を通過したのは午後1時を過
ぎていた。
ここから池田町まで20分前後,やっと幹線国道に出た。あとはただひたすら走るのみである。
愛媛県に入って,午後2時猛烈な眠さにたまらずガソリンスタンドに立ち寄る。年輩のご夫婦が店番を
している。アマチュア無線をしているというご主人と話をしながら缶コーヒーで眠気を吹き飛ばす。
午後1時10分,祖谷渓キャンプ場前を通過 左奥のラックkに無線機器が見える
 愛媛県の海岸沿いに伸びる11号線を松山に向かって走るが,交通量も増えなかなか距離が稼げない。
途中ハンバーガーで腹ごしらえをして,またただひたすら西に向かって走る。
 ところが,ちょっとあせっているこんな時に限って,松山市付近で相棒とはぐれてしまう。無線で呼ぶが
届いていないようだ。道路脇にバイクを止め,ヘルメットを脱いで携帯で呼ぶが出ない。しかし,こんな時
は少し休めというサインなのかも知れないと考え直す。待つこと30分,いや20分だったかも知れない。追
いついてきたK氏と合流する。すでに陽は落ち,夕闇が迫ってきた。目標を午後8時のフェリーと決め,
三日前にはきれいな海を眺めつつ走った佐田岬半島を,今はただ先行者のテールランプのみを目標に
激走する。
 午後2時以降の写真は1枚もない。それだけ,走りに没頭していたということなのだ。救いは,松山市
付近まで調子が悪かったディバージョンが,佐田岬半島に入ってからは回復したということである。ほ
とんど対向車のない半島の道を快調に飛ばすことができ,ナビの情報でも到着予想時間が8時を切る
ようになってきた。

激走の疲れをフェリーにゆだねる
 三崎港に着いたのは午後7時40分であった。8時のフェリーに間に合った。と思ったら何か様子が変だ。
出航前でにぎわっているはずの埠頭が静かすぎる。発券所に行ったら次の出発便は8時30分であった。
それなら,もう少し早ければ,7時30分の便に間に合ったのにと思ったが,とにかく無事に九州に渡れる
という安堵感の方が強かったのが事実である。
1時間ごとの便で便利な九四フェリー バイクは一番最初に乗船し,一番最後に下船となる
この便のバイクは我々2台のみ こうなれば,あとは船まかせ,波まかせ

眠気との戦い,深夜の高速移動〜そして無事帰着
 70分の船旅のあと,午後9時40分佐賀関港に入港。来たときと同じようにバイクを積載する。佐賀関港
を出たところで,遅い晩飯をとるためにファミレスに入る。食事を終えたら,すでに午後11時を過ぎていた。
ファミレスを出て,高速に乗る前に軽トラックの給油。セルフのスタンドで給油口を開けるためのレバーが
どこにも見あたらない。二人ともかなり疲れていて,けだるい気分で探しまくる。店員のお兄さんに訊ねる。
「なあーんだ,こんなところに・・・」なんて苦笑いにも力が入らない二人なのであった。
 途中で何度か休憩し,ドライバーを交代しながら,大分自動車道から長崎自動車道に入り,多久ICを
出た時には午前2時になろうとしていた。バイクを降ろし,無事自宅に着いたのは午前2時半であった。
午後10時15分積載完了 横になりたい,SAでの休憩 鳥栖JCT付近,睡魔との戦い

旅の終りに 
 5年ぶりの泊つきツーリング,3泊4日,824Km。体力的には,5年間のブランクを感じなかった。
これまでの長距離ツーリングで感じていた腕の疲れ,指先のしびれを今回はほとんど感じなかった。
ところが,長年の相棒であるヤマハディバージョンにトラブルが見え始めた。後日修理に持ち込んだ
ところ,ツーリング中何度も感じたエンジンの吹き上がりの悪さはイグナイタの不調らしい。それに,
車検で修理していたばかりのフロントフォークのオイル漏れが再発していた。このトラブルは,フロント
フォークの上部に浮いている小さなサビが原因で,根本的解決にはフォークの交換が必要という。
そろそろ,愛車ディバージョンを手放す時が来たのかもしれない。
 今回のツーリングで,軽トラックでの移動の便利さや,キャンプ泊の楽しさが体感できたのは大きな
収穫であった。また,ナビの有効性や,ムービー活用の面白さも確認できた。更に,二人ともデジカメ
携行で,ソロツーリングでは絶対撮影できない走行中の自分の写真なども得られて,このホームペー
ジにも変化をつけることが出来た。相棒K氏にも感謝。
 一つの旅の終りは,次の旅への始まりでもある。さあーて,次はどこにしようか・・・・。
                                                   (2005.10.5掲載完了)

 ついに完結!(05/10/5) 〜最後まで読んでいただきありがとうございました。


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