お気楽ミニ・ツーリング ’95
1995年、日帰りミニツーリングの記録
ぶるぶる!真冬の雲仙温泉ツーリング(1995.1.5)
イルカと出会った壱岐、湯ノ本温泉ツーリング(1995.1.16)
大バエ断崖から300度の水平線、生月島ツーリング(1995.5.5)
どっか行こうか!ということで、お気楽ツーリングであるが、最近はなかなかバイクのエンジン
をかけることもなくなってしまった。このころは結構走っていたなあという思いでまとめてみた。
何しろ、もう一昔前のことになるので記憶も断片的であるが、写真を見るとその日のことが少し
はよみがえってくるものである。(2003.8.13制作)

ぶるぶる!真冬の雲仙温泉ツーリング
 真冬に走るということは結構気合いが要るものである。ご覧のようにツーリングスタイルも
真冬対応ではあるが、日帰りツーリングとあって、荷物が少なくてすむのが、ほんとうにお気
楽なのである。
突然の雪
 佐賀県鹿島市から長崎県諫早市、小浜町を過ぎるまでは順調であったが、小浜温泉の湯
煙を後ろに見ながら雲仙登山道に入りだんだん標高を上げていくうちに手足の感覚がなくな
ってくる。
やがて、ホテル街に近づいたところでなんと雪が降ってきたのだ。路面は濡れた状態であっ
たので、走るには支障はなかったが、まさか雪になるとは思わなかったので驚いた。まあ冬
の雲仙では当たり前のことかも知れないが。
諫早市の手前付近で、天気は小雨模様 やっと、露天風呂付きのホテルに到着
雪の舞い散る露天風呂
 早速露天風呂に入り体を温める。これが最高である。写真は慌てていてレンズが曇って
しまいよく写っていないが、雪が舞い散る中での露天風呂もまた一興であった。
2人の人影がわかるかな、同行の友人と これじゃまるで「闇夜に幽霊」だな〜
 体が外から温まったところで、今度は中から温める鍋焼きうどん定食。
さあ食べようか ボリューム感豊かな鍋焼きうどん
 昼食後には空模様も回復してきた。雲仙地獄を見て、そこで売っていた温泉たまごを食
べて帰途につく。このときには青空が見えていたのだが、最後の最後にどんでん返しが・・
噴煙上がる地獄で、ここまでは好天気
冷たい冬の集中豪雨
 島原半島をまわって有明海沿いに国道207号線を走っているときに突然の雨に見舞
われる。それも半端じゃない振り方で、しかも、真冬の冷たい雨。折角温泉と鍋焼きうど
んで体の内外から温まっていたのに、家に着くときには寒さでがちがちであった。この時
の国道207号線の遠かったこと。この時ほど、狭い佐賀県がとてつもなく広く感じてしま
ったことはなかった。

イルカと出会った壱岐、湯ノ本温泉ツーリング
壱岐と言えば島である。正式に言えば、長崎県壱岐郡。
ここには4つの町がある。石田、芦辺、
郷ノ浦、勝本の
4町である。
壱岐島には佐賀県呼子町からフェリーが出ている。そ
んなに広い島ではないので日帰りでも充分である。
 佐賀県呼子港9時発印通寺港行き九州郵船フェリーに乗船した。1時間ほどのミニ船旅
である。距離や時間にすればわずかだが、この船に乗るという非日常性が気分を変えて
くれる。これがなんともいいのである。
呼子港にて、友人のオフロードバイクと 出港まもなく呼子に向かう便と出会う
猿岩
 石田町印通寺港から上陸後、まず壱岐での最高地点の岳の辻展望台に登る。といっても
標高は213mしかない。壱岐は高い山がほとんどない台地上の島である。その後,西北に
針路をとり、郷ノ浦町の黒崎半島の突端にある猿岩を見る。
 海からの高さ50メートルほどの岩が猿の横顔にそっくりなのである。遠くから見ると上を向
いているが、近づくと下を向いて怒っているように見える。
遠くから見る猿岩 近づくと怒っているようだ 友人のオフロードバイク
黒崎砲台跡
 猿岩から少し行ったところに黒崎砲台跡がある。戦時中ここには口径41センチ、砲身18メートルの二連砲
があった。施設の大部分は地下に構築されていて、対馬海峡全域を射程としていた。第二次世界大戦後解
体されたが、地下部分の遺構はそのまま残されている。
黒崎砲台跡の案内板 地下壕の部分 大きな深い穴があった
湯ノ本温泉
 冬のツーリングは、何といっても温泉ということで、勝本町にある湯ノ本温泉に入る。最初
は海の見える露天風呂に行ったが、湯が入ってなくて営業をしていない。次にいった、平山
旅館の露天風呂に入る。入湯料は大人400円(現在は450円)で、鉄分の多い食塩泉で
赤湯とも呼ばれている。
 ゆったりとしたところで、壱岐名物のウニ丼を食べたくて小さな食堂に入ったのだが、メニ
ューになくて、仕方なくチャンポン(ウニ丼からチャンポン、何というこの落差!)を食べる。
友人のK氏と、理由ないけどピースサイン おめあてのウニ丼がなくて失意の表情
イルカとの出会いに感動
 勝本町の壱岐最北端の地にイルカパークがある。勝本町のホームページでは平成7年開園
とあるので、このときはできたばかりだったようだ。もとより、細かい計画などないお気楽ツー
リングなので、通りがかりだったが寄ってみた。あたりに人影はぜんぜんないが確かに沖合を
イルカが泳いでいる。
 おーいと手招きをしても来るはずないよなと思っていたら、一匹のコンドウイルカがすすーっと
近づいて顔を見せたのには本当に驚いた。これまでも遠くからは見たことはあるが、間近で見る
のは初めてである。
おーい、こっちにおいでよ! うわっ、ほ、ほんとに来たよ!
 体の表面はすべすべしていて、小さな優しい眼。しなやかでやさしくて、本当に感動の一瞬
であった。そのうち仲間の数頭もあらわれて、えさをねだるようなそぶりで歓迎してくれた。
海の生き物ではあるがほ乳類という共通項が惹きつけ会うのか、眼と眼で心が通じ合った
ような感じがした。 
そのうちに、仲間たちも近寄ってきた
自然の中で生きるしなやかさを感じた瞬間
勝本町から芦辺町へ
 イルカとお別れしてから壱岐島の東海岸を走る。途中で道を尋ねているような写真があるが、
どこを訊ねているのか今では忘れてしまった。しかし、ソロツーリングでは絶対撮れない写真
であって、なんか面白い写真である。
道を尋ねている?(友人のK氏撮影) 前を走る友人のK氏
イルカを思わせるフォルムのディバージョン 清石浜海水浴場にて小休止
野点のコーヒーとカモメの群舞
 清石浜海水浴場で、K氏持参のコッフェルでコーヒーをいれて、野点のコーヒーを味わう。
清石浜といっても石ころがあるわけではなく、きれいな砂浜である。たくさんのカモメが群舞
していて、しばしカメラのシャッターを切り続ける。壱岐の海の色は玄海沿岸よりもさらに青み
が強くて、沖縄の海ほどではないが、とてもきれいなコバルトブルーであった。
エサ場となっているのか、たくさんのカモメの群が 夕方の光を浴びて美しい群舞を見せていた
原の辻遺跡
 だんだんと陽が西の方角に傾きつつあった。冬の夕暮れは早い。
ちょっと時間がなくなってきたが、このころ発掘開始されたばかりで
話題になっていた原の辻遺跡に行ってみることにした。
原の辻遺跡は、芦辺町と石田町にまたがる、旧石器時代から弥生
時代にかけての複合遺跡である。この遺跡が注目されるのは、「魏
志倭人伝」の中に記述されている「一支(いき)国」の中心地であった
ということからである。この遺跡からは、佐賀県の吉野ヶ里遺跡と同じ
ように、壕にかこまれた弥生時代の集落のあとが発見されている。
発掘中の原の辻遺跡 土器の破片が見える
帰途につく
 17時30分発の呼子行きに乗船。正味7時間ほどの壱岐滞在であったが、
時計回り壱岐島の4町を走り、珍しい赤湯の湯ノ本温泉入湯、イルカとの出
会い、原の辻遺跡の見学など充実した一日であった。真冬とはいっても、
10日ほど前の雲仙ツーリングとは違って、天候に恵まれたのがラッキーで
あった。
夕闇迫る中、呼子行きフェリーの人となる 空にはぽっかり満月が

大バエ断崖から300度の水平線、生月島ツーリング
 5月の連休に、「どっか行こうか」という話になり、長崎県の生月島に足を伸ばす
ことになった。どっちかというと海沿い方面に走ることが多い。島国で周りが海に
囲まれているということで、海を見ると日本人はやっぱり安心できるのかなあと思う。

平戸島に橋が架かったのは1977
年である。この平戸大橋の開通は
平戸が観光の島として売り出すきっ
かけとなった。
この平戸島の北側に東西3Km,南
北14Kmほどの生月島がある。

生月島(長崎県北松浦郡生月町)は
1991年(平成3年)に完成した生月
大橋によって平戸島と結ばれた。
生月大橋は、全長960メートルで、
三径間トラス橋としては世界一の長
さとなっている。
平戸側から生月大橋を渡る前に撮影
 平戸大橋を渡って、普段平戸観光では走らない島の北側の道を走ると、やがて生月島が見えて
くる。平戸側から見るとすぐそこに見えるが、ここに橋が架かるまでには平戸大橋の開通から14
年の月日が経っている。
生月島に渡った地点にある大橋公園にて 同行はいつものようにK氏
 生月島は小さな島で、最北端の大バエ断崖までは10分程度で到着する。途中には、玄武岩
の石柱の立ち並ぶ塩俵の断崖もある。この大バエ断崖には白い灯台もあって,ほぼ300度の
水平線が見渡せる。
 この日は快晴とあって、最高に気分が良かった。本当に水平線が丸く見えるので、地球の丸さ
を体感できる場所である。
柵の外側は高さ100メートルの断崖絶壁 草原に腰を下ろして昼食タイム
 写真は、プリントをスキャンしたもので、実際よりも青みが強くでる
傾向があるようだ。それでも、この日の海の色は確かに素晴らしい
紺碧の色であったと思う。
はるか向こうは東シナ海に続いている 岩場には釣り人の姿が
 帰りに生月大橋のたもとで「あごあじラーメン」という看板が目に
付いた。そのときは、「あごが落ちるほどおいしい」という意味かと
思ったが、「あご(トビウオ)」でだしをとったラーメンのことだろう。
食べなかったのが今でも心残りである。まだあるのだろうか。今度
行ったときには絶対食べようと思っているのだが。

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