北海道ソロツーリング
1996年8月26日〜31日(5泊6日 全走行距離 1598.9Km
北海道ツーリングタイトル写真
8月26日(月)〜1日目(自宅〜福岡空港〜千歳空港〜札幌泊 108.7Km
8月27日(火)〜2日目(札幌〜旭川〜層雲峡〜サロマ湖〜網走泊 402.0Km
8月28日(水)〜3日目(網走〜美幌峠〜摩周湖〜知床半島〜中標津(開陽台)〜釧路泊 420.0Km
8月29日(木)〜4日目(釧路〜帯広〜狩勝峠〜富良野泊 250.0Km
8月30日(金)〜5日目(富良野〜麓郷〜夕張〜札幌泊 313.2Km
8月31日(土)〜6日目(札幌〜千歳空港〜福岡空港〜自宅 105.0Km

まえがき
北海道ツーリングは長年の夢であった。今は残念ながら廃刊となったが、当時、「アウトライダー」というバイク雑誌
があった。ツーリング記事と素晴らしい写真、編集も洗練されたお気に入りの雑誌であった。夏には、この雑誌では
必ず北海道ツーリングが特集されていた。西日本のライダーにとってネックは,北海道までの移動をどうするかと
いうことである。そこで、思い切って飛行機でバイクを運ぶ、日航の「スケッチブックバイクプラン」を利用することに
した。これなら、自分の乗った飛行機にバイクを積んでくれるのである。費用はかかるが往復の時間が節約できる。
「時は金なり」とばかりこのプランを利用することにした。
(注:「アウトライダー」誌は最近隔月刊で再発刊-05.8.3記

8月26日(月)〜1日目(自宅〜福岡空港〜千歳空港〜札幌泊)
福岡空港発10時45分発、JAL583便は、12時55分、千歳空港に無事着陸した。バイクを
受け取ったら、すぐに空港構内のスタンドでガソリンを満タンにする。これは危険防止のために、
飛行機に搭載する前にガソリンを抜かれるからである。タンク容量通り17リットルを給油して
札幌目指して走り出す。札幌までの道の混んでいることと、車のスピードが速いことに驚く。まる
で高速道路並みのスピードである。途中、親戚の家に立ち寄ったりして、17時45分に宿泊先
の札幌東急インの駐車場にバイクを入れる。
福岡発JAL583便 はるばる来たよ北海道 大倉山シャンツェにて
札幌市内観光
 夜は親戚の案内で、大通り公園や旧道庁、時計台、大倉山ジャンプ台、藻岩山の夜景などを
案内してもらう。ラーメン横町は素通りして、夜はカニ料理をごちそうしてもらった。予告なしの急
な訪問にもかかわらず歓待してくれた叔父に礼を言って東急インに戻る。今日の走行は小手調
べ、明日からはいよいよ本格的な北海道ツーリングである。本日の走行108.7Km。

8月27日(火)〜2日目(札幌〜旭川〜層雲峡〜サロマ湖〜網走泊)
道央自動車道から道東へ
 夏の北海道の朝は早い。午前5時半、ホテルから見る空の色はすでにしっかりしたブルーであ
った。6時10分、ホテルの駐車場を出し、道央自動車道に入る。今日の目的地は網走。距離が
あるので、途中旭川までは道央自動車道を利用することにする。天気は上々である、途中岩見
沢PAで休憩、道央自動車道は旭川で終点である。旭川鷹栖ICで高速道路を降りて、国道39号
を進む。高速道路を降りてしばらく行くと、国道40号との分岐がある。40号と北上すると終点は
稚内である。稚内、宗谷岬にもいつか行きたいが、今回の目的地は道東である。39号線を進み
愛別町を経由して上川町に入る。
札幌の朝、午前5時24分 岩見沢PAにて
石北峠を越えて
上川駅に着いたのが午前10時15分。小休止してさらに国道39号を走る。上川の町を抜ける
と正面に大雪山の雄大な山並みが目に入ってくる。徐々に高度を上げ、石狩川の上流沿いに
走るようになると、やがて層雲峡の温泉街に着いた。層雲峡を過ぎて、帯広に向かう国道273
号との分岐点を直進してしばらく登ると,石狩と北見の境である石北峠に着いた。ここから先は
下り坂である。途中の白樺の林が綺麗だったので小休止して写真を撮る。
10時15分、上川駅にて休憩 白樺の林の中で
気温上昇、半袖で走る
 12時55分、留辺蘂(るべしべ)町のホクレンのスタンドで給油をし、郵便局でお金をおろす。ここから先は暑く
なってきたのでウインドブレーカーを脱いで半袖で走る。今日の旭川の気温は25.6度まで上昇。夏の間、北海
道の内陸ではこのように気温が上がるので稲作も可能とは知っていたが、確かに北見盆地には豊かな水田地
帯が広がっていた。
 留辺蘂より山越えをして国道238号線に出る。左にサロマ湖を見ながら走る。サロマ湖は北海道でいちばん
広い湖であるがオホーツク海につながっている塩湖である。
サロマ湖畔にて 国道238号線を走る、網走まで45キロの表示
北海道の道路
 北海道の道路は広い、しかも左右の歩道にあたる部分がたっぷりとってある。これは多分,冬季の積雪に備
えたものだろう。冬に積雪の多いときは、左右の歩道の部分には除雪した雪の壁ができるはずである。あと、
北海道の信号は、赤黄青と縦に並んでいる。これも積雪による重量をできるだけ軽減するためであるとか。
サロマ湖・網走刑務所
 サロマ湖畔の展望台に登ると遠くは知床半島の連山が見えた。今回のツーリングに備えて購入した20ミリ
〜35ミリの広角ズームレンズを使ってバイクと展望台を撮影する。このあと、能取湖畔を走って16時頃、網走
市内に入った。まずホテルを確保して網走刑務所を見学した。みんながそうするように、正門のところで記念撮
影をしたあと、正門前の売店でニポポの人形を2個買った。ツーリングの場合おみやげは必然的にかさばらな
い小さな物となる。この売店には刑務所の作業で製作されたいろいろな品物が販売してあった。
 ホテルはビジネスホテルで、バス、トイレなし、朝食のみで6,180円。やや高いが、疲れた体にはあったかい
お風呂と布団が本当にありがたい。今日は天候にも恵まれて予定通りのコースを快調に走れた。
本日の走行402.0キロ。
展望台とバイク 網走刑務所正門前にて

8月28日(水)〜3日目(網走〜美幌峠〜摩周湖〜知床半島〜中標津(開陽台)〜釧路泊)
網走漁港周辺散策
 ホテルのテレビで今日の天気を確認。幸い、今日も好天気に恵まれそうだ。今日の網走の日の出は午前5
時。ホテルの非常階段から網走川の河口方向に上がる日の出を撮影する。右手奥には、今日走る予定の知
床半島の山並みが見える。午前6時ごろから近くの網走漁港付近を散策する。水揚げされた魚やタラバガニ
がコンテナに入れられてトラックで運ばれる。朝日の中で多くの人々が忙しそうに働いていた。
目を覚ますとすでに窓の外は明るい 午前5時、網走の日の出
タラバガニを網からはずす作業 昆布が朝日をあびてキラキラと輝いていた
開拓の歴史を知った網走監獄博物館
 朝食を済ませてホテルを出発、今日最初の目的地網走監獄博物館に向かう。網走市の郊外にむけてバイ
クで10分ほど走ると着いた。午前8時の開館時間前からすでに多くの観光客が入場を待っている。
 この網走監獄博物館は網走市の郊外にあり、1985年に開館した。この博物館の入場口にもなっている正
門は旧網走監獄の正門を復元したものである。映画「幸せの黄色いハンカチ(1977年制作)」で、島勇作
(高倉健)が刑を終えて出所してくるシーンは現在の網走刑務所正門ではなく、ここに復元されている旧網走
監獄当時からの正門である。(映画「幸せの黄色いハンカチ」については4日目の項で詳しく紹介)
 また、放射状の獄舎は、1912年(明治45年)に完成し、1979年9月まで実際に使用された獄舎を移築
して復元したものである。一カ所で5棟の獄舎の様子を一目で監視できるように設計されている。また、当時
の囚人の作業の様子などを人形で再現している行刑資料館もあった。北海道の厳しい自然の中で流された
囚人の血と汗によって、北海道の道路、鉄道の建設が進められていった様子がよくわかる。
正門前で開館を待つ人たち 放射状獄舎の前で
放射状獄舎の中央の監視所 網走監獄の見学を終えて出発
屈斜路湖と摩周湖
 網走監獄博物館の見学を終えて、8時48分、次の目的地美幌峠に向けて出発する。国道39号線を美幌町で
分岐して国道243号線に入る。243号線はやがて段々と高度をあげ、10時半、美幌峠に到着した。映画「幸せ
の黄色いハンカチ」で、勇作(高倉健)と欣也(武田鉄也)が写真撮影した屈斜路湖の見える展望台で記念撮影。
ここからは屈斜路が180度のパノラマで一望できる。湖の中央には中島がぽっかりと浮かんでいる。

 小休止したあと、摩周湖に向かう。霧の摩周湖として有名であるが、この日は快晴で、湖と空の色は単なる青で
はなくて、深みのある、吸い込まれそうな青である。第1展望台、第2展望台それぞれに立ち寄って写真を撮った。
まだ午前中ということもあってか、比較的観光客が少なくてゆっくりと見物できた。
標高493mの美幌峠 屈斜路湖をバックに すっきりと晴れ渡った摩周湖
じゃがいも・甜菜
 士別川に沿って391号線を北上する。道の両脇にはじゃがいもと甜菜(ビート)の畑が広がっている。白いジャガ
イモの花がきれいだった。甜菜は砂糖の原料となる。遠くに製糖工場も見える。
宇登呂のウニどんぶり
 12時48分、斜里町のスタンドで11.3リットル給油する。1リットル113円。斜里町からは、オホーツク海を左手に
見ながら334号線を走る。オシンコシンの滝を13時35分に通過して、14時に知床半島の観光基地である宇登呂
に着き、遅い昼食をとる。観光客相手の食堂で注文したメニューは2060円の「ウニどんぶり・カニのみそ汁つき」。
ウニの量が少なかったので少々高いなと思ったが、観光地だから仕方ないか。味は・・・「我が地元佐賀県呼子のウ
ニがもっとうまいぞ!」と思った。
じゃがいもの花 宇登呂のウニどんぶり
北方領土国後島が見えた
 宇登呂から5キロほど走ると国道334号線は知床半島横断道路となる。広くて舗装状態も良く快調に走る。右手
の高い山は標高1660メートルの羅臼岳である。15時に知床峠に到着。ここからは北方領土国後島がすぐ近くに
見える。ここからは50キロくらい離れているはずであるが、天気がいいせいか、くっきりと国後の海岸が見える。
バイクと犬とおじいさん
 ここの駐車場では、愛犬をバイクに乗せて全国ツーリングをしているというお年寄りと出会った。その愛犬がバイク
の前のかごに乗っていて、しかも、なんとちゃんとヘルメットをかぶっているのである。彼らは,駐車場に立ち寄った
観光客の注目を集めていた。
これから知床峠に向かう(バックは羅臼岳) 知床峠から国後島を望む
宿をどうするか
 知床峠を下り、半島の東側の町羅臼に降りる。羅臼からは国後島を左手に見ながら走る。今日の目的地は釧路
である。別に釧路にこだわる必要はないが、大きな町でないとホテルがとれないかもしれないというだけのこと。今
回のツーリングは最低1泊だけは日航指定のホテルの利用が義務づけられている。これは、1日目の札幌でつか
ったで、2泊目以降は安いビジネスホテルを探して泊まるというのが今回の計画である。
開陽台、180度の地平線
 釧路の到着時間も気になったが、どうしても立ち寄ってみたいところがあった。それは、中標津町にある、北海道
ライダーのメッカ開陽台である。根釧台地の北部に位置して、日本で地平線が見える唯一の場所であるというので
バイク仲間で話題の場所である。標津町から右折して272号線に入る。夕日と競争するように走り、中標津空港の
横を通って午後5時25分に開陽台展望台に到着。
 展望台にはもう人影はない。キャンプしているライダーたちのテントもすっかり夕闇の中に沈もうとしている。360
度とはいえないが、確かに180度、根室海峡に向かう方向は地平線が見える。
根釧台地に圧倒される
 開陽台を出て、沈みゆく夕陽に向かって根釧台地を走る。ここがなんといっても長かった。あたりはすっかり夜の
とばりに包まれ、町の灯りも見えない。はるか遠くにポツンポツンと家の灯りが見える。道路はほとんど直線で舗装
状態もいいが、対向車もほとんど来ない。今回のツーリングで、北海道の広さを一番感じたのがこの根釧台地走行
であった。
 途中、たまらず道ばたにバイクを停めてひっくり返る。干し草と牛舎のにおいがとおくからただよってくる。弱々しげ
な虫の声が聞こえてくる。たまにトラックが埃を舞い上げて通り抜ける。疲れはあるが、北海道に包まれているとい
う心地よさ。このときだけは早く釧路に着こうという気持ちを忘れていた。
沈みゆく夕陽に照らされて(開陽台展望台) 釧路市街、午後8時
つぶやき・つぶざんぎ
 2時間ばかり走って、午後8時すぎにやっと釧路市内に入った。何軒か電話してやっと空室のあったホテルは、
市街の西側のさびれたホテル。夕食は繁華街に出て居酒屋風の店に入る。「つぶやき」「つぶざんぎ」というのが
珍しかったので注文する。「つぶ」というのは、白い巻き貝のことで、「つぶやき」は「つぶ焼き」で、「ざんぎ」という
のは揚げたものという意味であった。ツーリングの楽しみはこうして土地の店で土地のものを食べることである。
しかし、十分リサーチして店を選んだりということはしないので、結構いい加減な、いきあたりばったりという感じで
はあるが・・・。
 本日はコース的に見どころも多かったので疲れたが、充実した一日だった。本日の走行距離420.0Km。

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8月29日(木)〜4日目(釧路〜帯広〜狩勝峠〜富良野泊)
恐れていた雨が・・・
 ついに恐れていた雨である。朝から降っている。でも、走るしかない。荷物にビニールの袋をかぶせ、防水加工
のジャケットを着て出発する。釧路市街地を抜けて38号線を帯広方面に向かう。釧路湿原にも興味があったが、
見学を断念した。この雨では仕方がない。ヤマハディバージョンは前面に小さなカウルを装備している。このカウ
ルは、雨中のツーリングには効果を発揮する。辛抱強く走っていたが、ヘルメットをたたく雨足も段々強くなってき
たし、寒くなってきたので、9時55分、道の駅恋問(こいとい)海岸で休憩することにする。
 ちょっと早いが体を温めるためにも、何か喰おうということで恋問どんぶりという、海の幸のどんぶりを食べる。
いくら、まぐろ、ホッキ、タコ、イカなどが山盛りで980円、これは納得の一品であった。レストランの窓から見る
太平洋は昨日見たオホーツク海とうってかわって、大きな波が押し寄せて荒れている。
出発の朝、すでに路面は雨でぬれている 荒れる太平洋と恋問どんぶり(980円)
バイクで走っている時って
 今日は富良野まで行く予定である。そのためには走るしかない。38号線を白糠、音別と走る。北海道の町の
市街路は碁盤の目のように直角に交差している。明治以降の計画的な開拓の名残であろう。当時の開拓の苦
労を思いながらただひたすら走る。バイクで走っている時って結構いろいろ考えているものだと思う。時には独
り言を言ったりして。
寒さにふるえながら
 昨日まではほんとに好天気で気温も結構上がったのに、今日は雨と寒さで手がかじかみ体も冷え切ってきた。
まるで真冬のツーリングみたいな体感温度である。たまらず、浦幌駅でバイクを停めて、誰もいない待合室に入
って、ジャケットの下に新聞紙を巻き込む。いくらかは寒さが防げるようである。靴には防水のためにビニール袋
をかぶせる。再び走り出す。ワインで有名な池田町を抜けて、帯広駅前に着いたのが13時52分であった。
 帯広は畑作地帯十勝平野の中心都市である。しかし、写真を撮っただけで通過する。少しでも走れば雨から
逃げられるかもという気持ちと、天候が悪いときには早めに宿に着きたいという気持ちが、ゆっくり見物しようと
いう気持ちを押さえ込むのである。新得町のラーメン屋の看板を見ながら先を急いだが、道が登り坂になって、
人家も少なくなった。狩勝峠への登りである。この先はしばらく食べ物屋さんはないということに気づき、新得の
町まで戻りラーメンを食べる。
 新得町と言えば、映画「幸せの黄色いハンカチ」で、勇作(高倉健)が、昔お世話になった渡辺巡査(渥美清)と
出会う町である。ここから勇作と欣也(武田鉄也)、朱美(桃井かおり)たちのドライブは狩勝峠を越えて砂川に向
かうのだ。
視界20m
 ラーメン屋さんを出て狩勝峠の登りにかかる。雨は小降りになり、今度は深い霧に閉ざされてきた。視界は約
20メートルほどしかない。車は少ないが、スピードを落として前方と路側を確認しながらの低速走行となる。13
時55分、石狩と十勝を分ける狩勝峠に到着した。寒さと視界不良にすっかり疲れた。
事件発生
 ところが、ここで事件発生。疲れと、カーブ走行の連続で平衡感覚がマヒしていたのであろう、サイドスタンドで
停めたバイクが、バイクを離れた直後に反対側にガシャーンと倒れたのである。この時ばかりは、泣きっ面に蜂
である。今まで一回も倒さずに乗ってきた愛車を、なんと走っているときではなく、止めようとして倒したのである。
うーん、ほっとしたときの落とし穴。マフラーに少々傷がついたが、幸いにも走行には支障がなかったのは不幸
中の幸いである。
帯広も雨の中 霧深い狩勝峠で
雨もまた結構、移動そのものが旅
 峠を石狩側に降り始めると段々と空が明るくなってきた。気温も上昇して、ジャケットもズボンも走行風によって
自然乾燥状態となってきた。南富良野ではすっかり雨は上がり、ほっと一息である。ここから富良野のホテルを予
約する。ホテルは富良野駅前にあって、こぎれいな、名前からしても「富良野グレースホテル」と女性向きのホテ
ルらしく、料金も朝食付き7210円とちょっと高かった。
 今日は雨ということもあって写真もほとんど撮れず、見物もほとんどなく、移動しただけという一日だった。だが、
ツーリングは移動そのものが旅なのである。バイクで移動していることそのものが見物・見学なのである。雨と寒
さという試練もまた、北海道が私に与えたおみやげであろう。雨にも寒さにも、さからうことはできない。大自然が
あたえてくれるものに感謝して今日の走行を終わる。
本日の走行距離250.0Km。

8月30日(金)〜5日目(富良野〜麓郷〜夕張〜札幌泊)
富良野周辺早朝ツーリング
 昨日の雨があがって、ホテルの窓から、雲の中に顔を出している十勝岳がきれいに見える。5時50分、ホテルを
出て富良野周辺を早朝のツーリングに出発。。中富良野森林公園展望台からの十勝岳連峰の眺めが素晴らしか
った。ラベンダーの季節は過ぎているが、畑や牧舎のつくり出す風景は北海道独特のものである。途中で小学生た
ちの登校風景に出会い、そうか、北海道はもう夏休みではないのかと気づいた。
 8時20分、63.2キロの早朝ツーリングを終えてホテルに帰着。
ホテルの部屋の窓から富良野駅と十勝岳連峰を望む 中富良野森林公園から十勝岳を眺める
中富良野の町を眺める小高い丘にて 水田と畑と山がつくりだす自然の美
麓郷の森
 ホテルで朝食をとったあと、フジテレビのドラマ「北の国から」シリーズの舞台ともなっている麓郷に向かう。麓郷の
森は富良野駅から15キロほど登ったところにある。ここには「北の国から」のロケで使われた丸太の家や石の家が
ある。丸太の家は中に入って見学できたが、石の家は次のロケで使用するということで、柵が設けてあって近づけな
かった。人気シリーズドラマとあってファンが多く、麓郷の森は朝から観光バスの団体客が沢山訪れていた。
黒板五郎の丸太の家 黒板五郎の石の家(次のロケまで保存中)
野の花を撮影
 麓郷を出て、最初は昨日走った38号を逆走して南下する。途中から237号線に分岐して金山峠を越える。このあ
たりは車が少なく、快適に走ることができた。北海道の道はどこでもは舗装状態がよくて、市街地以外は大変車も少
ないので走りやすい。12時45分、占冠(シムカップ)村に入った。小休止しようとバイクを停めたら、道ばたの野の花
がきれいだったのでカメラにおさめる。下の写真はその一部である。
占冠(シムカップ)村の入り口で
ライダ同士のあいさつ
 占冠村を過ぎて日高町に入ると鋭角に左折して274号線に乗る。交差点付近で大勢のライダーを見た。今日は彼
らはどこに向かうのだろうか。北海道のツーリングではツーリングの仲間とすれ違うたびに左手を挙げて挨拶する。
どうも、自分からするのは照れるが、相手から挨拶されたら必ず手を挙げて挨拶を返す。「楽しんでるかい?安全走
行で!」という感じで、無言の挨拶を交わしあうのである。これがまた、気持ちよく、疲れを忘れるひとときでもある。
人形がしゃべり出す
 夕張市の石炭歴史村に15時に到着した。平日だからなのか、なぜか観光客がほとんどいない。ここには,日本の
戦後を支えた炭坑の歴史が展示してある。古い坑道に入ると、蝋人形で石炭採掘の様子が再現してある。坑道に降
りて一人で見ていると、突然人形が動き、しゃべり出したのには本当にびっくりした。
 映画「幸せの黄色いハンカチ」では、勇作(高倉健)が炭坑で働くシーンがある。炭坑住宅でのシーンや光枝(倍賞
智恵子)が働く生協マーケットなどは、この夕張でのロケで撮影された。しかし、炭坑の最盛期には人口12万人を数
えた夕張も、1990年に全ての炭坑が廃坑となり、今では、映画が撮影された1977年当時の面影は少なくなって
いるようだ。
幸せの黄色いハンカチ
 今回のコースは、映画「幸福の黄色いハンカチ」で島勇作(高倉健)と花田欣也(武田鉄也)、小川朱美(桃井かお
り)が走ったコースと似ている。この映画は網走から夕張までの旅を中心にしてストーリーが展開する、いわばロード
ムービーである。

 欣也は失恋をきっかけに仕事をやめ、退職金をはたいてマツダファミリアを買う。フェリーで釧路に上陸した欣也は,
網走に向かう。網走駅で、これまた失恋旅行中の朱美に声を掛け、ドライブに誘うことに成功する。
 あやまって人を殺した勇作は、6年3ヶ月の刑期を終え網走の刑務所を出所する。勇作は,網走の海岸で二人と出
会い,欣也の車に乗せてもらう。美幌峠を越えて阿寒湖温泉に行き、3人はそこで一泊する。まんまと朱美と同室に
なった欣也は、朱美に迫るが泣かれてぶざまにも失敗に終わる。
 翌日、朱美と勇作は陸別の駅で一旦欣也の車を降りる。しかし、欣也はカニを買って戻ってくる。一緒にカニを食べ,
また3人のドライブは続く。陸別から帯広に向かう途中アクシデントで朱美が車を暴走させ、この日は農家に泊めて
もらうことになる。
 次の日、帯広の町でコーヒーを飲もうと駐車したところで欣也がやくざにからまれる。勇作はそのやくざをやっつけ、
自ら車を運転しその場を逃げる。しかし、勇作の免許は刑務所で服役中に失効していた。
 新得の町で検問にかかり、勇作の無免許運転が発覚する。同時に、殺人罪で刑務所に服役していたこと。一昨日
出所したばかりということなどがばれてしまう。しかし、連行されていった新得の警察署で,勇作は昔世話になった渡
辺巡査(渥美清)と出会い無免許運転を無罪放免にしてもらう。
 車中で、勇作は自分のこれまでの人生を若い二人に話す。福岡の炭坑町で働いていたが、若いときからけんか早く
て、すさんだ生活をしていたこと。30を過ぎて、このままではいけないと心機一転夕張に来て光枝と出会い、結婚した
こと。しかし、ささいなことで光枝とけんかして飛び出した夜の町で、あやまって、からんできた酔っぱらいを殺してしま
ったことなどを。
 この夜3人は、砂川の旅館に泊まる。ここで、欣也と朱美は、勇作が獄中から一方的に妻光枝と離婚したことを聞か
される。朱美はそれはあまりにも身勝手ではないかと勇作をせめる。
 次の日、美唄の手前で勇作は突然夕張に向かうと言う。そして2人に告げる。出所した日、網走から光枝に葉書を
出していたこと。そして、この手紙には、「もし、今でも一人でいるならば、家の鯉のぼりの柱に黄色いハンカチを揚げ
ていてくれ」と書いていたと。欣也と朱美は、待っていてくれるはずはないと弱気になる勇作を励まして夕張に向かう。

 最近、この「幸せの黄色いハンカチ」が松竹よりDVDで発売された。TV放映を録画したビデオテープを持っていた
が,早速購入した。この映画は、私が日本映画のベスト1に位置づけている作品である。何度見ても、いい作品はい
い。以前は勇作と光枝の話を中心に観ていたが、最近見直してみて、実はこの映画は、欣也と朱美という若いカップ
ルが勇作と光枝の話を聞いて、やさしさとか男らしさとは何かということに気づき、本当の愛を見つけていくところに大
きなテーマがあるのだと気づいた。(2003.2.1 記)

今もはためく幸せの黄色いハンカチ
 夕張の石炭歴史村を出て、幸せの黄色いハンカチ広場に向かう。あの、感動のラストシーンが撮影された炭坑住宅
が保存されている場所である。地図をたよりに走っていると、映画の中の3人の気持ちになってくる。ああ、この踏切
を渡ったな、この坂を登ったなと、映画のシーンを思い出しながら走っていくと、だんだん気分はクライマックスである。
 やがて、映画で3人の乗った車が止まったお風呂屋さん(今はない)の場所に着いた。「あった、あった!」炭坑長屋
の路地の先に、映画と同じように沢山の黄色いハンカチがはためいている。そして、残されている炭坑住宅は無料で
一般公開されている。内部には、ロケで使用された赤いファミリアや映画のシーンを再現した人形などが置いてある。
圧巻なのは、自動車が展示されている部屋に貼られた黄色い紙片である。全国から訪れたファンが、願い事を書いて
残していくのだそうである。また、別のコーナーでは映画のラストシーンがテレビで見られるようになっていた。
今も炭坑住宅が残されている ラストシーンが目に浮かぶようだ 今もはためく黄色いハンカチ
炭坑住宅の一室にセットが再現されている 沢山の願い事で埋まっている
ツーリングのラストシーン
 ラストシーンの場所を見て、今回の自分の旅もまた、ラストシーンが近づいていることを気づかされた。札幌で待つ
叔父におみやげの夕張メロンを買い、真正面から夕陽を浴びながら札幌に向かう。道はどこまでも続くが、この旅の
続きはもうないのかと思うと、いつものことだけど、無事帰りつくという安堵感と、もう走れないという寂しさがこみあげ
てくる。
 今晩の宿は札幌の羊ヶ丘展望台の近くにある叔父の家である。夕食は札幌ビール園に連れて行ってもらって、美
味しいラム肉を満喫、満腹した。本日の走行313.2Km。
夕張メロンをくくりつけて(長沼町付近) 夕陽を浴びて サッポロビール園で

8月31日(土)〜6日目(札幌〜千歳空港〜福岡空港〜自宅)
最後のハプニング、豪雨襲来
 いよいよ最後の日である。朝起きて札幌大学周辺を早朝ツーリングする。千歳空港でバイクを預ける。ここでは行き
と同じく燃料を完全に抜かれる。また、バイクの傷の状態を確認される。これは、現地到着後輸送中の傷がないかをチ
ェックするためである。空港売店でお土産品などを見ているうちに搭乗の時間となった。空港まで送ってくれた叔父夫
婦に別れを告げて機上の人となる。
 福岡空港付近で着陸態勢になり、志賀島や海の中道が見えてきた。そのときは曇り空ではあったが・・・。福岡空港
でバイクを受け取り、唐津方面への西九州道路を走る。ところが、走り出してまもなく、すごい豪雨に見舞われる。たま
らず、前原の料金所で荷物の防水対策を補強する。前が見えないくらいの雨の中を走る。唐津・二丈バイパスを降り
て唐津に入ると、道路が30Cmほども冠水していて靴の中で足が泳いでいる状態となった。
最終日の走行距離105.0Km。
千歳空港でバイクのチェック 無事福岡空港で受け取る びしょぬれで無事到着してVサイン
終わりに
 ほぼ計画通りのコースを走破して、5泊6日、全走行距離約1600Kmのソロツーリングが終わった.今度こんなに
長いツーリングができるのは、いつになるかわからない。思い切って実行してほんとうによかったと思っている。一番の
問題は、これだけの時間を確保することである。東北、中部、北陸と、まだまだ走りたいところはいっぱいある。いつの
日にかまた、見知らぬ道を走るという夢だけは忘れずにいたいと思っている。
 
最後まで読んでくださった人、ありがとうございました。ツーリング愛好者、北海道ファンの方の感想もお待ちしてい
ます。メールや掲示板でどしどしお寄せください。

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